OH^句

September 0892008

 向ひあふ真夜の西瓜のあかあかと

                           丹羽真一

の句にポエジーを感じるのは、読者がこの一行を「俳句」として書かれているのだと認識して読むからだろう。散文や自由詩の切れ端ならば、他の行で相当ていねいにフォローしてやる必要がありそうだ。叙述としては、とりあえず「真夜(深夜)」に西瓜を食べることになった心持ちを述べているだけである。西瓜を食べるのに別に決まった時間はないのだけれど、深夜に西瓜はなんとなくそぐわない。そのそぐわなさは俳句の季語のしばりから、あるいは世間常識から来ているもので、俳句の読み一般から常識を抜くことは不可能に近い。何かの行きがかりで、作者は深夜に西瓜を食べる羽目になり、それも「向ひあふ」というくらいの大きさのものなので、ちょっとたじろいでいる。とても「かぶりつく」気にはなっていない。手を伸ばす前に西瓜を見て、それが「あかあかと」して見えるところに、たじろいでいる感じがよく出ている。「赤々と」ではなく「あかあかと」見えていて、この「あか」にはいささかの毒気すら感じられる。私はこの句を読んだときに、「ああ、俳句的とはこういうことだな」と直覚した。そしてこの「あかあか」が、しばらく脳裏に焼きついて離れなかった。俳句様式でないと成立しない「詩」が、ここにある。俳句同人誌「琉」(2008年8月・14号)所載。(清水哲男)




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